田中一村(タナカイッソン、1908ー1977)。この名前をご存じの方は、よほどの絵画好きか、奄美大島に所縁がある人かもしれない。栃木県生まれの日本画家で、生涯を絵に捧げた孤高の人である。
一村は東京芸術学校(現東京芸大)の日本画科に入学したが、やり方に疑問を感じてわずか3ヵ月で中退。親戚を頼って千葉に移り住み、時折働きながら絵を描き続ける生活を送った。一村の有名なエピソードがある。40歳の時、青龍社展に作品2点を応募して1点は入選、1点は落選した。しかし片方の落選を不服として、入選を辞退した。
50歳の時に奄美大島に移住。これまで墨で描く日本画を主体としていたが、移住を機にカラフルな南国調の作品に変化した。生涯彼が求めていたのが、南国画と日本画の融合。沖縄や南西諸島における日本文化と中華文化の融合を、作品の中で独自に表現しようとした。しかし、生涯を絵に捧げた一村だが、生前は全く世に認められなかった。生前にわずか1枚しか売れなかったゴッホやゴーギャンに通じるものがある。
没後に評価された一村の記念館は、人生の後半を過ごした奄美大島にある。他人からの評価よりも自分を信じた生き様。信念を貫いた作品には凄みがある。
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