受験シーズンが終わって新学期が始まる。受験前は、縁起が悪い言葉を避ける必要がある。このタブーの言葉のことを忌み(いみ)言葉というが、受験では、落ちる・滑る・転ぶ・つまずく等が該当する。
▼日本の製紙業の父と言えば、大川平三郎氏(初代王子製紙専務、後の樺太工業社長)である。渋沢栄一氏は欧米式の洋紙生産工場の開設に尽力したが、実務は渋沢氏の愛弟子だった大川氏が取り仕切った。大川氏は13歳から渋沢家に寄食し、雑用をしながらドイツ語学校に通学。16歳の時に日本初の洋紙を生産する抄紙会社(後の王子製紙)ができ、英国人と米国人技師が機械を据え付けるのを手伝った。20歳の時に米国に、28歳で欧州に製紙技術を学ぶために留学。29歳時に日本初の木材パルプ生産工場の開設に携わった。
▼トップを務めながらも生涯技術者だった大川氏は、抄造見本を見ただけでマシンのどの部分の調子が悪いかが分かったという。この大川氏が生涯で最も避けていた食べ物が「刺身」だという。「切る」というのが「紙切れ」を連想させる。忌まれたものということで、食べることを避け、切る・詰まるは氏にとって忌み言葉であった。逆に蕎麦は大好きだったが、蕎麦は噛み切らないからだと推察する。
2025年07月14日
コラム「虎視」
今号で紹介した熊谷紙業は、90年代から古紙パルプ生産を試行錯誤してきた。本紙268号(97年10月)を改めて読[...]
2025年07月07日
コラム「虎視」
段ボール古紙の調達価格が、段原紙の市況上昇のなか、据え置かれている。段原紙は2017年以降、5回目となる値上げ[...]
2025年06月30日
コラム「虎視」
2015年に日本マテリオと共催して、古紙ジャーナル韓国ツアーを開催した。
▼その時に家庭紙メ[...]
2025年06月23日
コラム「虎視」
韓国には業界紙というものが存在しないという。その理由は主に3つある。
▼①そもそも各業界[...]