著名な歴史小説家・藤沢周平が小説家になる前、業界紙で15年ほど筆を振るっていたことはファンの間では有名な話である。
藤沢周平の生まれは山形県で、初めて社会に出たのは教師として。地元の中学校で教鞭を取っていたが、ほどなく結核を患い退職。当時の結核は死病と言われていた。5年間にも及ぶ療養を経て、ようやく体調が回復したのを機に上京。業界紙の記者として第二の人生が始まった。当時を振り返ったコラムがある。
「私は仕事が面白くて仕方がなかった。ひとつは足かけ5年も病人暮らしが続いたので、働いて報酬を得てその金で暮らすという当たり前のことが、私にはこの上なく新鮮だった。もうひとつは、人に会って話を聞いたり、あるいは業界の会合に出て記事にするという仕事が、どうやら自分に合っていると思われた」と記している。
しかし業界紙の記者になってから2年半は、計3社の業界紙を転々とした。経営方針の違いや、会社の金を私的に使う経営者達をどうしても看過できず、居場所を見つけるまでに時間がかかった。
そして4社目に入社した日本加工食品新聞という中堅の業界紙で、彼はようやく居場所を見つけた。
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