2018年12月10日 オピニオン » 1307号

古紙ジャーナル書評
海上物流を一変させたコンテナ
コンテナリゼーションの歴史本

コンテナ物語

 ニューヨーク在住のエコノミストで、ニューズウィーク等のライターを務めたマルク・レビンソンが2007年に出版したのが「コンテナ物語」である。少しでも貿易に携わっている方なら、いやもはや古紙はグローバル商品であるので、コンテナがどのように生まれ、どのように普及したのかを理解するために、この本を読むことをお薦めする。他に類を見ない情報量で、コンテナの誕生から普及まで全て理解することができる。

 我々の業界で言うと、コンテナリゼーションがあったからこそ、日本や欧米の古紙業者が、中国や東南アジア向けに、製紙原料で最も比率が高く、最も安い古紙を輸出することができた。そして中国の急速な製紙業の発展による恩恵を受けることもできた。逆に考えると、中国の製紙業は、物流が発達してローコスト化した2000年以降だったからこそ、急速な発展を遂げたとも言える。古紙や製紙業だけでなく、全ての産業がコンテナの普及によって、グローバリズムの道を開くことができたと言えるだろう。

 1913年に米国ノースカロライナ州の田舎町で生まれたマルコム・マクリーン。彼がいなければ、コンテナリゼーションはあと10年、いや数十年ほど遅くなっていたかもしれない。世界の物流を変えるという野望を持った人物であり、コンテナ発明の父とも言われている。

 マクリーンが経営者として目覚めたのは、まだ10代の時。隣町まで行けば、ガソリンを5ドル安く買えることを知ったのが、経営に目覚めた発端だったと振り返っている。マクリーンは21歳の時、トラック1台から運送業を起こし、瞬く間に規模を拡大していった。30代には、全米屈指の運送会社に成長していたが、そこで満足する男ではなかった。

 1950年、マクレーンは悩んでいた。当時、ハイウェイの渋滞が年々酷くなることに頭を悩ませていた。また、政府からタダ同然で払い下げ船を買うことができる海運会社に、トラック運送のシェアを奪われてしまうのではないかと危惧していた。そして生粋のアイデアマンは閃いたのである。混雑した沿岸道路を走るくらいなら、トレーラーごと船に載せて運べば良いのではないかと。

 そして1953年の冬には、もっと具体的なアイデアを練り上げていた。トレーラーには車輪が付いていて、これが貴重な船内のスペースを無駄にしてしまう。それなら車輪を取ってしまえばいい。トレーラーからシャシーを外して、ただの箱にしてしまうのである。船に渡り板をかけ、トラックがトレーラーを引いて、甲板上で切り離す。そのために専用ターミナルを埠頭に整備し、船も改造する。この革命的なアイデアを実現するため、彼の人生の全てを賭けた戦いが始まっていく。

 それまでの港湾業務は、荷積みと荷下しは全て人力によるもので、フォークリフトも1部で使われるようになっていたが、まだ1950年代は人力による作業が多かった。荷主の工場や倉庫から貨物を1個ずつトラックか鉄道で港まで運ぶ。港ではそれを1個ずつ下ろして検品をして、貨物上屋に収める。船の準備が揃うと1個ずつ上屋から取り出して、船側まで運ばれる。この時点で埠頭はもう段ボール箱や木箱や樽で、足の踏み場がない。大混乱をきわめる貨物を全て積み込むのは、沖仲士と呼ばれる港湾労働者の仕事である。50年代の報告では、海上貨物輸送にかかる経費の60〜75%は、船が海上に出ている時ではなく、船が波止場にいる間に発生すると言われた。

 マルコム・マクリーンが非常に先見的だったのが、海運業とは船を運行する産業ではなく、貨物を運ぶ産業だと見抜いたことである。今日では当たり前のことだが、1950年代は実に先進的な見方だった。この洞察力があったからこそ、コンテナリゼーションはそれまでの試みとは全く違うものになった。輸送コストの圧縮に必要なものは、単に金属製の箱ではなく、貨物を扱う新しいシステムである。港、船、クレーン、倉庫、トラック、鉄道、海運業そのもの。つまりシステムを全て再構築しなければならない。

 この後、ベトナム戦争を経てコンテナは世界的に認知されていく。コンテナ物流の構築に人生を懸けた男の物語をお薦めしたい。

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