2017年9月18日 オピニオン » 1246号

チリ交列伝・元伊藤興商Jrがチリ交の生き様を後世に残す

 今回の書評は、古紙回収業のバイブルと言われ、今なお業界で愛読者が多い「チリ交列伝・伊藤昭久著」。~まいどおなじみチリ紙交換の物語~という副題が付いている。1999年に「彷書月刊」に連載され、2001年5月に論創社から発行された。
 チリ紙交換の回収人にスポットを当て、個性的で自由闊達な回収人の日常や悲哀、人情溢れるドラマが綴られている。これほど具体的に、そして情緒的に「チリ交」を語っている本は、過去にも現在にもこの本しかない。未来に、チリ交という古紙回収業の原点を伝える本だと言えるだろう。

 少し中身に触れると、第1章は「チリ交・流す」。チリ交の流しの基本マニュアルを紹介し、その後、流しの音声を各回収人が工夫を凝らして作成する様子がある。すると、きつい東北訛りで悩んでいる「ナンモのおっちゃん」が現れ、流しの音声の吹き込みを同僚に頼むというところから物語が始まる。第2章からはチリ交の衣食住、飲む・打つ・買う、出入り業者や出物、生き本、喧嘩と借金、別れまで、様々な回収人の人生ドラマが綴られている。ちなみに元伊藤興商で現在は宮崎の関東圏を統括する鮫島氏は、この小説の最終章に登場している。かなりノンフィクションに近い小説だと言える。

 このチリ交列伝を執筆したのは伊藤昭久氏。関東最大の古紙回収業者と言われた伊藤興商の2代目専務である。東京都世田谷区に本社があった伊藤興商は、1960年代に創業。70年代・80年代の2度のオイルショックによる古紙価格の高騰で、扱い量や規模を拡大していった。最盛期には、関東に8ヵ所、愛知に2ヵ所の計10ヵ所のヤードを保有するチリ紙交換の最大手業者となり、月間1万8,000トンの扱い量を誇った。
 隆盛を誇った伊藤興商は、関東圏の東京・埼玉・神奈川を主戦場としていたが、90年代に入ってからは愛知県に進出し、2ヵ所のヤードを開設。しかし拡大路線に走ったところで、新聞・雑誌の価格が低迷し、資金繰りが悪化した。多額の債務と経営の行き詰り、内紛等も相まって、1992年11月、宮崎の子会社であるアイプレックが商権を引き継ぐ形となった。これが宮崎の東京進出の引き金となり、その後は拡大路線を歩む。現在では大本紙料と並び日本最大の古紙扱い量を誇る。

 伊藤昭久氏は1942年山梨県生まれ。伊藤興商を創業した伊藤司郎氏の息子で、青山学院大学を卒業後、山梨シルクセンター(現在のサンリオ)に入社した。そこで出版部の立ち上げを直談判し、以後は本作りや編集の道を歩んだ。
 第1次オイルショックが起こった1973年。山梨シルクセンターがサンリオに生まれ変わった年でもある。その前後に昭久氏は、「家業の原料屋に戻る」と言って山梨シルクセンターを退社し、伊藤興商に入社した。

 出版という書物の誕生から、廃品回収という書物の墓場に鞍替えをした氏は、伊藤興商が廃業した後は、世田谷区内で「古書いとう」という古本屋を開店。以後は古本と共に生き、2014年に他界した。
 チリ交列伝には、チリ交の生き様と共に、なぜチリ交が衰退したかにも触れている。80年代後半から古紙の需給バランスが崩れ、供給過多となり古紙価格が下落したことや、新聞販売店回収や町内会の集団回収が古紙の回収方法の主力となったことを挙げている。
 「チリ交のことを書いておきたい」という1心で書かれた同書は、時代や市況の変化、チリ交やタテバの当時の状況を知ることができる。是非お薦めしたい。

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