▼今年の一時期自宅周辺にちり紙交換車がよく回ってきたが、最近はまたピタリとこなくなった。最近よく来るのが廃家電の回収車である。チリ交といえば1970年代から80年代半ばにかけてが全盛期。古紙価格が低位に膠着するようになった80年代後半になると、チリ交に代わって各地に集団回収が普及し始める。
▼丸山喜之助商店からいただいた資料の中に、同社が昭和54年(1979年)に地元の町内会や自治会などに配布したチラシがある。題して「資源ごみの再利用と再資源化について」。79年といえば第二次オイルショックが勃発した年。古紙価格が再び騰勢を強め、ちり紙交換車が街中を走り回っていた頃だ。このチラシによると「古紙、ビン、金属、ボロなどの資源ごみを回収した売上げ金は回収団体の運営資金の一助になっている。ごみの減量化と資源確保のため、まだ集団回収を実施していない団体は是非実施を」と呼びかけている。
▼チリ交全盛時代にすでに集団回収を手がけていたことにびっくり。集団回収という、地域と密着したリサイクル運動をいち早く展開したことが、今回、鹿児島県でも初めてという全天候型(屋内)の一廃、産廃の中間処理施設の建設につながったのだろう。
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