▼今年の一時期自宅周辺にちり紙交換車がよく回ってきたが、最近はまたピタリとこなくなった。最近よく来るのが廃家電の回収車である。チリ交といえば1970年代から80年代半ばにかけてが全盛期。古紙価格が低位に膠着するようになった80年代後半になると、チリ交に代わって各地に集団回収が普及し始める。
▼丸山喜之助商店からいただいた資料の中に、同社が昭和54年(1979年)に地元の町内会や自治会などに配布したチラシがある。題して「資源ごみの再利用と再資源化について」。79年といえば第二次オイルショックが勃発した年。古紙価格が再び騰勢を強め、ちり紙交換車が街中を走り回っていた頃だ。このチラシによると「古紙、ビン、金属、ボロなどの資源ごみを回収した売上げ金は回収団体の運営資金の一助になっている。ごみの減量化と資源確保のため、まだ集団回収を実施していない団体は是非実施を」と呼びかけている。
▼チリ交全盛時代にすでに集団回収を手がけていたことにびっくり。集団回収という、地域と密着したリサイクル運動をいち早く展開したことが、今回、鹿児島県でも初めてという全天候型(屋内)の一廃、産廃の中間処理施設の建設につながったのだろう。
2025年07月14日
コラム「虎視」
今号で紹介した熊谷紙業は、90年代から古紙パルプ生産を試行錯誤してきた。本紙268号(97年10月)を改めて読[...]
2025年07月07日
コラム「虎視」
段ボール古紙の調達価格が、段原紙の市況上昇のなか、据え置かれている。段原紙は2017年以降、5回目となる値上げ[...]
2025年06月30日
コラム「虎視」
2015年に日本マテリオと共催して、古紙ジャーナル韓国ツアーを開催した。
▼その時に家庭紙メ[...]
2025年06月23日
コラム「虎視」
韓国には業界紙というものが存在しないという。その理由は主に3つある。
▼①そもそも各業界[...]