私が20歳になる目前の1993年10月28日。サッカー日本代表がドーハの地で初めてのワールドカップの出場を目指したが、ロスタイムにイラクに追いつかれて出場を逃した。いわゆる「ドーハの悲劇」である。当時のテレビ中継では、崩れるように倒れこむ中山やカズ、ラモスの姿が映し出された。自分自身も数日間、1言も話せないほどショックを受けたことを覚えている。全ての日本のサッカー関係者、全てのサッカーファンの数10年越しの悲願は、あと数秒というところで消えてしまった。
そして2017年8月31日、埼玉スタジアムで行われた対オーストラリア戦に駆け付けた。これまでW杯予選で1度も勝ったことがないオーストラリアに2ー0で見事に勝利し、ホームで6大会連続となるW杯出場を決めた。
当たり前のように日本がW杯に出場できるようになって嬉しい反面、以前のような夢の大会という意識や、痺れるような最終予選の感覚が薄れているのは寂しい。オーストラリア戦で得点を決めた浅野や井手口は、ドーハの悲劇の時にはまだ生まれていなかった。新しい歴史というのは、こうやって歴史を知らない人が作っていくのだろう。
2024年12月09日
コラム「虎視」
マレーシアの経済発展は目覚ましいが、製紙業の発展も目覚ましいものがある。11年前に訪問した時は、王子グループの[...]
2024年12月02日
コラム「虎視」
働き方改革によって古紙業界ではドライバー不足に陥る懸念があった。時間外労働の上限規制(年間960時間)が敷かれ[...]
2024年12月02日
ちょっとブレイク
母がヒッポファミリークラブという多言語の国際交流クラブに入っていたので、海外からのホームステイを積極的に受け入[...]
2024年11月25日
コラム「虎視」
古紙の源泉となる紙の需要にもトレンドがある。雑誌は販売部数が減り、広告も減り、そして売るための書店も減っていく[...]