大和紙料・矢倉義弘顧問は、昨年11月に旭日双光章を受賞。今年5月の全原連・総会が大阪で開催されたが、その出席者全員に自叙伝の冊子を配布した。タイトルは「私の天職」。大学卒業後は一般企業に就職したかったが、跡取りとして入社せざるを得なかったという葛藤と苦悩から始まっている。
▼その後、地道な営業活動や現場作業に追われる日々だったが、社長である父が急逝。徐々に事業形成を任されるようになり、国内では関東や九州地区、海外では米国進出を、数々の苦労を乗り越えて成功させた。とりわけ、大量に余った電話帳を知り合いの韓国メーカーに輸出したのが日本の古紙輸出の第1号という話や、香港にヤード進出したが中国人に騙されて撤退したこと、米国のパンパシフィックファイバーの新規開設の話などが興味深かった。
▼財務省の貿易統計によると、1970年(昭和45年)に日本から輸出された古紙の量は5517トン。うち韓国向けが5429トン(キロ単価33.2円)、フィリピン向けが82トン(同14.3円)、琉球向けが6トン(同31円)。まだ沖縄が日本に返還される前。古紙の輸出品種は「くず紙及び古紙」のみ。この中に、大和紙料が輸出した電話帳が入っていたかもしれない。
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