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【政治学者・姜尚中(カンサンジュン)氏にインタビュー】
熊本の古紙問屋に生まれ育ち政治学者に
自伝的小説では激動期の両親の奮闘描く

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2011年1月10日 917号

2010年12月13日、東京大学本郷キャンパス情報学環本館にて

熊本の古紙問屋、永野商店に生まれ育ち政治学者の道へ。東京大学で教鞭を執る姜尚中(カン・サンジュン)氏は、在日二世の人生とは何かを出発点に、民族名を名乗り、その境遇を学問へと昇華させた。自伝的小説の「母―オモニ―」では、永野商店を舞台に両親の奮闘や様々な人々の悲哀が描かれる。戦後の激動のなか、零細でありながらも苦難を乗り越え、循環社会の一翼を担っていくまでの古紙問屋の原点がそこにあった。

昨年十二月、氏へインタビューを試み、①家業の興隆期のこと、②学問の道に進んだきっかけ、③学問や思想の土台となった人生観、④古紙業界の将来的な展望、⑤自伝的小説を書いた動機などを聞いた。

政治学者 姜尚中氏 略歴
1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。旧西ドイツ、エアランゲン大学に留学の後、国際基督教大学助教授・準教授などを経て、現在東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授。

―戦前にご両親が出稼ぎで日本へ来られ、熊本で最初、養豚やどぶろく作りをして生計を立てておられた。古紙問屋を始められた頃のお話を聞かせて下さい。

 「熊本の駅の近くの集落に住んでいて、そこからちょっと離れた大動脈の国道3号線沿いに初めて永野商店という看板を下げて、そこから始まりました。正確には、僕が生まれたのが1950年だから55年から。6歳ぐらいのときです。」

 「ただ50年代はまだ金属の希少価値が高かった。古紙が貴重な価値をもつというイメージはまだそのときはなく、どちらかというとそのまま使い捨てにしていくようなイメージがあった。産業の基本的な土台になるような鉄、銅、アルミ、こういうものが中心だったと記憶しています。」

 「朝鮮戦争の影響もあった。53年に休戦協定ができ、GHQの撤収やそれに伴い残ったものを入札したりしていた。それも一つ追い風になった。古紙はまだ初期の段階はそんなに入ってなかった。たぶん今古紙をやってらっしゃる方も、そういう経路でいった人と最初から古紙専門の人と発端は違うんじゃないかな。」

―日本の経済成長にともなって古紙の発生も増えていきました。古紙問屋の機械化も進んだと思います。

 「古紙だけというよりは、あるときから瓶も集めるようになりました。一升瓶が60年代は貴重だった。だから、いくつかの廃品を多角的にやっていたと同時に古紙にかなり労力を裂いていった。それが決定的になったのがオイルショックではなかったでしょうか。六四年にオリンピックがあって、70年が万博でした。70年代にオイルショックがあって我が家の仕事の比率がだんだんと古紙へと移っていった。」
 
「それ以前は手を加えてまとめていたけれど、あるときから機械化されていく。70年代の後半ぐらいから先行投資をしていたみたいでした。段ボールの塊が纏まってベルトコンベアで押し出されていく。それをフォークリフトで積み上げる。それが一番大きな変化だった。」

 「ただ問題は、僕のところは中間的な問屋になるわけです。そうするとそれまでの商売の仕方が手形になってきて、父親母親は手形のことでいろいろと頭を悩ましているようでした。」

―古紙の資源としての価値が見直されていきました。古紙問屋の仕事も軌道に乗っていきます。

 「ドラスティックに変わったのはむしろこちらから出向いて回収させて欲しいと。ちり紙交換が、お金をあげるのではなくてちり紙と交換しましょうと。古紙を出す側がお金を対価としてもらえないで、むしろトイレットペーパーでそれを代替してくれる。それが大きく変わったと思います。」

「僕が小さいときは、よく母親が選別していました。あれは模造というのですか、それを選別する光景はよく見ていた。それは我が家のある種の家内工業でやっていたけれども、人を雇って、やがてその人達に日当を出しながら、何人かの人達が選別をしていた。その手作業が目に焼きついている。ですから紙に対してとても大切にしているというイメージがあります。」

―リサイクルや循環型社会といった言葉も出てきて世間の意識も変わりました。

 「家内工業みたいな段階のときは、正直言って消費された最後のあまり人がやりたくない、そういうものを処分していく、そういうイメージを社会もある一時期もっていた。残念ながら自分たちの生業がリサイクル、循環社会という言葉が60年代の終わりぐらいまで定着していなかった。大学に入っていわゆる廃棄物や石油や化石燃料消費型の社会から出てくるものをどういうふうに処理したらいいかと考える先生がいた。それはまだ先駆的で一般化されていませんでした。68年に世界的に有名なローマクラブが結成されて、『成長の限界』という本を出す。それが石油危機と連動していましたから、これまでの石油がぶ飲み型の大量消費のメカニズムから、循環型あるいはリサイクルという言葉が出てきました。」
 
「それがあって父や母もただ単に消費されたものの最後の行き場所を自分達が処理するというだけではなく、実はこれはポジティブな意味があるということを薄々感じていた。自分達のやっていることが社会のいちパートとして意味があるのじゃないかと。我々がエコというのをはっきりと分かったのは70年代入ってから。今僕の兄や兄の子供が継いで、リサイクルということを前面に出しています。一般の人まで気づくようになったのはここ十年じゃないでしょうか。」

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