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【丸三製紙 野﨑社長インタビュー】原発危機で3ヵ月半の停止後、放射線量は低減
従業員・構内・製品の安全性を確保し生産を再開

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2011年8月1日 945号

丸三製紙株式会社 野﨑修代表取締役社長

深刻な事故を起こし、収束作業が長引く福島第一原発。そこから約25キロという製紙工場としては最も近い場所にあるのが丸三製紙㈱(福島県南相馬市原町区青葉町1-12-1)だ。約3ヵ月半の操業停止後、工場内や従業員、製品の安全性を確保しながら、六月下旬からマシンを順次再開させた。

7月上旬に現地を訪れ、野﨑修代表取締役社長にインタビューを試み、従業員の方を含め元気で明るい様子も見受けられた。段原紙など紙製品への放射能の汚染は考えにくいが、震災による東北エリアの経済的な落ち込みに加え、原発事故による地元産業への打撃は余りにも大きく、今後の需給にも影響を与えそうだ。

Q.地震による被害は軽微だったと聞きますが?

 「3月11日に地震が発生して、停電で全てのマシンが停止した。建物の被害は何もなかった。設備は7号機のポープリールとワインダー間でクレーンがロールを吊るしたまま停まってしまった。石炭ボイラーが点検中で6号機が停止中だった。それに発電機も停まっていたので、被害が無かった。震源に近かかったものの地盤が強固だったのが幸いした」
 
「停電していたため、テレビなどから情報を確認することができなかった。従業員の中に消防団員がおり、津波が来るという情報が入った。当社工場は海岸までは4、5キロある。4時ぐらいに社員の家族が安否確認に訪れ、大津波に襲われ大変な被害が出ていることを聞いた。」
 
「地震がとりあえず収まって、まず従業員の安否確認を行い、各職場で安全点検、電源管理の確認を行った。幸いにして就業中の従業員には怪我も何もなかった。その後も余震が激しく、家族の安否確認もあり、従業員は4時過ぎぐらいに帰した。その晩はいざというときに備え、管理職の30人ほどが残り、24時間体制で発電機を回して本社で待機した。」
 
「携帯電話はメールも含め、地震とともに繋がらなくなった。固定電話は何回かに1回通じていた。そのときは原発事故が頭になかったので、翌週ぐらいから工場を再開できればと考えていた。翌日の12日午前には従業員の全員集会を行って自宅待機を命じた。その後、行方不明の従業員の安否確認に総力を挙げたが、津波により家族を含め19名の尊い命が失われた。又自宅が津波で被災した者も13名いる。」

Q.原発事故で事態は一変することに?

 「12日の午後、福島第一原発の事故が発表される1時間ぐらい前に、従業員が会社から20キロぐらい離れた場所ですれ違った人から『すぐに逃げろ』と言われた。防災無線があるが、屋内退避という話は聞かなかった。その後、テレビをつけて見ると1号機の爆発の映像が流れた。」
 
「それで13日を境に状況は一変した。従業員は自主的に非難させたが、逃避行のようになってしまってそこからが大変だった。もちろん解散する時に、必ず課ごとに連絡網をつくって連絡をつけられるようにと指示した。

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